第二幕:02



 昼食をとったお店を出て再び歩きだした。
 中央に近付くにつれて人通りは減っていくようだった。住居群を抜けて小一時間ぐらい歩くと、巨大な二階建ての楼門に辿り着いた。〈礼門(れいもん)〉と呼ぶらしく、ここが〈御殿〉の正門に当たるそうだ。〈御殿〉は高くて分厚い塀で囲まれていた。なんというか、門なのにこれだけで一つの屋敷みたいな構えだった。それにこの塀、一体何の素材で出来ているのか硬そうな白い表面には継ぎ目が見当たらない。継ぎ目が何らかの技術で隠されているのか、それとも岩山から超巨大な一つの材としてここまで運んできたのか、あるいはこの辺りは元々岩山で、そこを大工事して今のような塀にしたのか、考えてみると妙だった。どうやって建てたのか、建築工程がちょっと気になる。
 目立たない服装に着替えて幾分気が楽になったところで残る不安要素はといえば、無論今後についてである。ここに辿り着くまでの間〈蓮花〉の地理的な造りや通りで目についた未知の建物や人々、謎の物体等について瑠璃さんにレクチャーして頂いていたため、私の〈御殿〉での今後については何も話し合っていない状態だった。勿論二人は護衛であって私の疑問に逐一答える義務はないと思うし、そもそも詳しい内容は知らないのかもしれない。菩提さんなんかは前に一度「〈御殿〉に着けば全て何とかして頂けるはずだから云々」と微妙に投げ遣りな発言をしていたような覚えがある。でも瑠璃さんはワケが違って、元々〈御殿〉に勤める人であるそうなので、少しは知識があるだろう。それに、そう、意外過ぎて空恐ろしいモノを感じなくもないが、彼は結構親切である。なんだかんだと意地悪な笑みを浮かべつつも服を用意してくれたりあれこれと丁寧に説明してくれたりと世話を焼いてくれているのだ。
 〈礼門〉の前で立ち止まった瞬間、私はこれが落ち着いて会話の出来る最後のチャンスだと予感し、瑠璃さんにこの国の情勢とか内情とかについてかなり突っ込んだ質問をぶつけようとした。
 でも、それは否応なく阻まれた。
「お待ちしていました」
 私はぎゃっと小さく叫んだ。どこからともなくぞろぞろっと漆黒の装束を纏った怪しげな集団が姿を現し、しかもこちらに話しかけてきたのだ。怪し過ぎる。だってただでさえ頭にすっぽりと被った赤ずきんならぬ黒ずきんの所為で目元が翳って見えないというのに、そのうえで顔の下半分を黒い布で覆って隠していたのだ。咄嗟に私の脳裏には忍者が思い浮かんだが、忍者ってこんなに目立つ集団行動をするものなのか、些か疑問である。いや、ともかくだ。反射的に菩提さんの背中に隠れてしまった。どうしよう、菩提さんの背後が定位置になりつつある気がする。私、背後霊の気があるのかも。
「なんだ、まさか迎えがあるとは思いも寄らなかったが」
 瑠璃さんも少し驚いたような顔を浮かべてそう言った。彼の知り合いではないということか。
「こちらへ」
 黒装束集団の頭らしき人物は瑠璃さんの発言には言葉を返さず、少し離れた塀の手前辺りに手を向けて示した。巨大な四角い箱のようなものがある。何だろう?
 ……待て待て、その前にこの人達を信用して良いのか?
 菩提さんの後ろから顔だけを覗かせて疑いの眼差しを向けていたら、黒装束の頭らしき人物が私に向かって声をかけてきた。
「こちらです、光様」
「!?」
 何で私の名前知ってるの!? まさか超能力……、いや、この国でその言い方はそぐわない。霊力か、呪術の類か?
 お、オソロシイ。名前以外にも色々と見透かされてしまいそうだ。
 驚愕して言葉を失っていると、黒装束集団がさささっと私の側に寄って来た。というか、囲まれた。全員で七、八人といったところだろうか。
 なんだなんだどういうことだ何が始まるのだ、と私は混乱し、菩提さんの背中にしがみついた。
「お二方は、この先光様とは別行動をしていただくことになります」
 え?
 頭らしき人物がさらりととんでもないことをのたまったので、私は驚きのあまり菩提さんの服を掴む手を放してしまう。待って、何、ちょっと何、どうして、どういうこと? 一気に不安が広がり、血の気が引き、パニックを起こしそうになる。こんな展開は予想の範疇になかった。
「そちらの者がご案内致しますので、〈礼門〉よりお入り下さい」
 規模の割には静かに門扉が開いた。展開について行けず、私は茫然とその光景に見入った。
「お二方、こちらへ」
 黒装束集団の一人が先に開いた門へと歩を進め、菩提さんと瑠璃さんに順に視線を向けたところで、私はようやく心が追いついた。
 ――これってつまり、お別れってこと?
 間違いなくそういうことなのではないか。別行動って。
「る、瑠璃さん」
 ぎこちなく名前を呼ぶと、瑠璃さんが無言で視線を返してきた。一瞬私と見つめ合った後、彼は頭らしき人物と向かい合った。
「話が違うな。俺と奴はこの娘の護衛をせよと言われてここまでやって来たのだ。何故今引き離すのか? 主殿には着いていないだろう、まだ任を果たしてはいない。これでは報酬も受け取れぬ」
 その瞬間、私の中で瑠璃さんの株が急上昇した。う、嬉しい! たとえ言い方が多少不遜であったとしても、氷点下の眼差しだったとしても、腕組みをして偉そうな態度であったとしても、それが味方であれば断然許容範囲、寧ろ愛着を感じるぐらいなのだ。
 けれども、頭らしき人物はこともなげにこう返答した。
「ええ、そういう話でした。その件についてお二方に内密なお話がございますので、光様とは別行動に。光様には姫に面会していただきます」
 まるでこの展開を予想していたかのように淀みなく、かつ抑揚のない声で。
 ……ん? 駄目ということ?
 そんなあ。
「姫とは、まさか、〈穢れ姫〉のことか」
 これから先はこの怪しげな黒づくめ集団と行動を共にしなければならないというのか、と少々見当違いな方向へ思考を仄暗く染めている私の元に瑠璃さんの呆気に取られたような声が届いた。〈穢れ姫〉。
 そういえば私、彼女に会うために、というか彼女が私を召喚したんだった。
 〈穢れ姫〉が全ての元凶! と私は強く心に刻み込むように再認識した。何が何でもさっさと元の世界に帰してくれるように頼み込もう、こんな化け物やら凶暴な野獣やらが出現する世界で生きていく自信などない。私がもし動物学者だったり冒険家だったりしたならば地球とは全く違った生態系を持つこの世界に目を輝かせていただろうが、私はそのどちらでもなければ物好きでもない。はっきり言ってビビリでもある。未知よりは慣れを選び、冒険よりは日常を好むのだ。
 この先どういった展開が待ち受けているのか相変わらず予測不可能ではあるが、少なくとも私の心はたった今、決まった。〈穢れ姫〉という人に会って、帰してもらえるようお願いする。よし。
「瑠璃さん、菩提さん、お世話になりました。色々とありがとうございました」
 勢い込む内心のままに二人に頭を下げて別れの言葉を告げたところ、隣の頭らしき人物が大仰に驚く素振りを見せ、なんとなくうろたえたような気配を漂わせる。
「光様、このような者たちに濫りに頭を下げるものではありません。貴方は……」
 と、注意をしかけて妙なところで言葉を切る。怪しい。それにその発言、二人にかなり失礼だ。
 思わずむっと睨みつけてしまった。
「いえ、その……。とにかく参りましょう。姫がお待ちです」
 気を取り直したように頭らしき人物が言い、巨大な箱の方を指し示した。あっ、とようやく気付く。よく見るとそれは巨大な箱などではなく、牛車だった。まさかあれに乗るのだろうか。
 行かなきゃ仕方ないのは分かっているんだけれど、二人から中々視線が逸らせず、困り果てた。別れるのが惜しいというのも勿論あるし、これから先の不安というのも大きい。学校とかバイトとかの付き合いに比べたら二人と過ごした時間は短い部類に入る。でも、この世界で今私が少し素直になれるのって多分、彼らの前だけなのだ。
 もし帰れなかったらどうなるのか、という身も凍るような想像をしてしまった。本当、その場合はどうなるんだろう。その時は二人に再び会えるのだろうか。可能性は限りなく低そうだ。〈御殿〉に籍を置く瑠璃さんならともかく、菩提さんは――。
 やだ、どうしよう。泣きそうだ。なんで?
 「どうせすぐに元の生活に戻る」っていう出発前の菩提さんの言葉を思い出した。そうだ、これは二人にとって一つのお仕事でしかない。泣いちゃ駄目だ、困らせるだけじゃないか。私だって元の居場所に帰るんだから。
 ――でも、でも!
 やっぱり悲しいものは悲しい。菩提さんは始終優しく丁寧に接してくれたし、瑠璃さんなんて途中怪我を負ったりした。この二人との関係を言葉で言い表すのは難しいけれど、私の中で知り合い以上の感情が芽生えているのは間違いなく事実なのだ。
 寂しい。悲しい。不安だし、名残惜しいし、それでもやっぱり自分の家には帰りたいわけで、もうワケがわからない。泣きそう。目が痛くなって視界がぼやけてきた。まだ何か言葉を紡がなきゃいけない気がするのに、喉の奥で溢れ返った気持ちがつっかえて声にならない。喉が震えた。
 唇を強く噛んで泣かないように堪えていると、それまで黙っていた菩提さんが歩み寄って来た。
 驚いて視線を上げると、しまった、涙が目の端から一滴零れてしまった。慌てて目元を拭う私を見て、菩提さんが柔らかな微笑を浮かべる。変わらないその綺麗な笑みに、何故だか少しだけ安堵を覚え、同時に切なくなる。
「光。君の健闘を祈っているよ」
 囁くような優しい声に、はっと息を詰めた。私、自分のことばかりだ。
 言うことはもう、一つしか思い浮かばなかった。
「……私も。私も、菩提さんのご健闘をお祈りします」
 無理矢理笑顔を作って言葉を返すと、菩提さんがくすりと今まで見たこともないような笑みを零した。本当の妹に向けるような顔、というのは自惚れ過ぎだろうか。
「永遠の別れというわけでもなかろうに。案外すぐに会うことになるやもしれぬぞ」
 少し離れた所から瑠璃さんが言葉を放ってきた。視線を移すと、口元に微かな笑みを刻んでいる彼を見つけて、嬉しくなった。最後まであの恐ろしい睨みを頂いたりしたらトラウマになり兼ねない。
「……暇ができたら会いに行ってやる」
「えっ?」
 私は瑠璃さんの小さな呟きに今日一番の驚きを示した。
 会いに……? って、本当に?
 彼はそれきり、背を向けて呆気なく行ってしまった。聞き間違いだったのかな。
「光」
「あ……、はい」
 顔を上げると、菩提さんの整った笑顔に遭遇する。風に靡く灰色の長い髪が目に焼けついた。
「気を付けてね」
「あ、ぼ、菩提さんもっ」
 と、彼とのお別れはこんな妙な具合に終わった。
「光様、参りましょう。姫がお待ちですよ」
 出来れば門が閉まるまで彼らの後ろ姿を見送りたかったが、そうもいかなかった。黒装束集団の頭らしき例の人物に背中に手を添えられ、歩くよう半ば強引に促されたのだ。私は一見超怪しげな集団に囲まれつつ、少し離れた場所に待機している牛車へと向かった。近くで見るとすごく大きくてがっしりした造りをしている。車を牽く牛も二頭だった。
「えっと」
 私はつい、乗るのを躊躇い、後ろの頭らしき人物を振り返った。別に閉所恐怖症というわけではないけれども、初めてのことは何でも不安なのだ。ビビリなのだ。
「どうぞ、そちらからお乗り下さい」
「ええっと」
「手をお貸しします」
「うわっ」
 手を掴まれた直後、ふわっと体が浮くような感覚があった。手を貸すも何も私ごと持ち上げるような動作だったではないか。ともあれ、牛車には難なく乗りこめたが。
「あ、結構広い」
 思わず呟く。さすがに天井は低いが、スペースは十分過ぎる程にある。向かい合った長椅子型の席はあまり和風っぽくなくて、西洋の馬車を思わせた。
 私の他に頭らしき人物と、他部下二名が乗り込んだ。私と頭らしき人物が後方の席に座り、部下の二人は私たちと向かい合う形で前方の席に腰掛ける。
 他の三人は徒歩で良いのだろうか、と私が疑問を抱いた頃、そろりと牛車が進み始めた。初めて味わう微妙な揺れに私の頭の中も揺れに揺れた。酔ったりしたらどうしよう。
「あの、降りちゃ駄目ですか」
 気付くと内心の混乱のままにそう口走っていた。
「え?」
 頭らしき人物が素で驚いたみたいだった。そんなに変な発言だったのかな。
「……何故でしょうか」
「私、これ、乗り慣れてないんです。徒歩じゃ駄目ですか」
 牛車の乗客室内に妙な沈黙が訪れる。
「……はあ、そうですか。しかし、疲れておいでなのでは?」
 頭らしき人物が困惑を滲ませてそう言ってきたので、私は思わず「疲れてません」と即座に切り返した。
「しかしながら……〈恭爺(きょうや)〉様のご命令ですので」
 誰だ。〈穢れ姫〉に続きまたしても謎の人物名が登場したな。
「じき、慣れるでしょう。堪えて下さい」
 降りられないのか。仕方がない。我が儘ばかりも言ってられないだろうし。
 というか、そうだった、疑問が山盛りなのだ。
 私は人見知りをする方だが、今は自分の今後のことで頭の中がいっぱいでそれについての緊張の方が大きいため、たとえ見ず知らずの黒づくめさん達が相手であっても躊躇っている暇などなく、必死だった。
「あのぅ」
「はい」
 頭らしき人物と改めて向かい合う。僅かに覗いている肌は滑らかそうなので、年はそれほどとっていないだろう。瞳は透明感のある赤茶色だ。この人、よく見ると凄く目が澄んでいる。
 うむ、とりあえずは自己紹介からだろう。いや、本音を言えばまずその怪しげな頭巾と口と鼻を覆う布をとり素性を説明して欲しいところだが。
「貴方のお名前は、何というのでしょうか」
 私が出来るだけ失礼のないように気を付けた口調でそう尋ねると、またしても妙な沈黙が訪れる。表情の変化はよくわからないが、前方の席の二人も心なしかそわそわと落ち着かないような雰囲気になった。
「それは……、その、もしやお答えしなければならないのでしょうか」
「…………一応、質問したつもりだったんですが、はい」
 何か問題でも? と続けると、頭らしき人物がうっと息を詰まらせた。何なのだ、これじゃあ信用どころか果てしなく怪しむしかなくなるじゃないか。名前ぐらい知ってもプライバシーの侵害にはならないはずだぞ。
「仕方ないですね、もういいです。お頭と呼ばせていただきます」
 申し訳ないが他人の心の動きを気にしていられる程の余裕が現在の私にはないのだ。
「えっ?」
 お頭が目を点にし、素っ頓狂な声を上げる。一体どういった事情か知らないけれど、普通の少女は男性に無邪気に名前を尋ねて教えてもらえなかった折には漏れなく落ち込むし、ちょっぴり拗ねるものだと思う。
 ふいっと視線を前方の二人に向けた。睨んだつもりはなかったが、何故か二人はぎくりと肩を強張らせた。
 もう、何なのだ。怪しげだぞ。まさかマジで誘拐なのか? とまで疑ってしまうが、良いのか、それで。
「……ということで、そちらのお二方は部下その一、その二とお呼びすることにします」
 前方の二人が顔を見合せて瞬いていた。その一その二は失礼過ぎるな、よし、その一さんその二さんとお呼びすることにしよう。
「ひ、光様」
「何でしょうお頭」
 とびきりの笑顔で振り向いたというのに、お頭は茶色の綺麗な目を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべた。私はついっと顔を背け、憮然とした声で言った。
「こんなのって失礼です。貴方は私の名前を知っていて、なおかつ呼ぶのに、貴方自身の名前は教えてもくれないんでしょう、というか嫌なんでしょう?」
「は、いえ、嫌というわけでは決して……」
「同じことですよ」
「ああ、いえ、その」
 部下その一さんとその二さんが不安げにこちらのやり取りを見守っている。
「良いんですお頭。細かいことに気を取られていては話が進みませんし」
「は、ええ、申し訳ございません……」
「謝るぐらいなら教えて下さい」
「それはその」
「意地悪」
「ええっ」
 つーんと尚も顔を背け続けていると、部下その一さんが会話に飛び入り参加してきた。
「あの、頭領。お教えして差し上げても問題はないかと存じますが」
「しかしだな……」
 お頭が狼狽していると、部下その二さんがその一さんに加勢した。
「私も問題はないかと、頭領。光様はあの〈恭爺〉様が極秘にとおっしゃった程の方なのですよ。情報が漏れることはまずないでしょう」
「しかし……」
 しぶといな、お頭。
 というか今の台詞の中に気になる単語があったが、まあそれは追々訊くとして。
「もし万が一のことがあれば必ず〈恭爺〉様が何とかして下さいます」
 部下その一さんがさらにお頭を促す。
 それきり、何故かぱたりと沈黙が訪れたので、私は不思議に思って元のようにお頭の方に顔を向けた。
「あ」
 思わず変な声を上げてしまった。お頭が頭巾と口と鼻を覆う布を外しにかかっていたのだ。
 そ、そこまでは求めていなかったのだけれど良かったのかな、と今更後悔の念が生まれる。「今更」といっても後悔が先に立たないのは普通なのだが。
 罪悪感を抱きつつ呆然とお頭を見つめていると、頭巾の下から焦げ茶の硬そうな短髪が現れ、次いで目より下の部分が露になった。
 若い、気がする。思っていた以上には。二十代後半ぐらいだろうか。
 全体で見ると目が占める割合が結構多い、つまり目が大きいってことが発覚した。どこか兎を思わせる人だ。肌は瑠璃さん程ではないが浅黒い。
 ぽかんとしていると、前方の席の二人までがお頭を倣って頭巾と口元を覆う布を外しにかかっていた。ぎょっとしてしまう。良いのか、本当に良かったのか、私! 何か重大な秘密を知ってしまった時のようにずしりと重しが心に乗っかった気がしなくもないのだが、元はといえば自分が蒔いた種である。見届けるしかない。
 右前方の部下その一さんは真っ直ぐなセミロングの金髪をしていた。これって天然の色なんだろうかと目を疑う。それをいうなら菩提さんは灰色の髪をしていたし、瑠璃さんも薄茶で日本人には中々天然に存在しないであろう髪色をしていたのだが。
 続いて左前方の部下その二さんに視線を移すと、淡い黄色のふわふわとした髪が目に止まった。肌も白過ぎるほどに白い。この世界、何でもアリなんだろうか。和風のイメージが崩れつつある。
 なんとなく以前よりも落ち着かない気持ちで再びお頭に視線を向けると、
「私は朝影(あさかげ)と申します。そちらが梧桐(ごどう)、そちらが七瀬(ななせ)」
 と念願の名前を教えてくれた。ストレートな金髪の人が梧桐で、ふわふわっとした白っぽい人が七瀬というらしい。順に視線を向けると軽く会釈されたので私も慌てて頭を下げかけたが、寸でのところで朝影さんに止められた。何が駄目なんだ?
 不服だ、という心の声が顔に現れたらしい。
「光様はご自分の立場をお分かりでないようですね」
「…………」
 虚ろな笑みを浮かべてしまう。立場も何も、何故自分がここにいるのかという事実の方が謎だ、意味不明なのだ、出来れば説明を頼みたいのだ。
「いいえ、詳細などどうでもよろしいのです」
 何っ? 私にとっては最重要事項なのだが、さらっと切り捨てたな。
 その時ふと、朝影さんの笑顔が強張っているのに気付いた。相手に緊張されるとこちらも連動して……じゃなくて、なんで緊張しているんだろう?
「貴方は姫に招かれた方です。その事実さえあれば、それで」
 困惑した。何が言いたいのかよく分からない。
 もしかして朝影さんは私を「異質」な存在として捉えているんだろうか、いや、確認するまでもない。その瞳に映し出されているのは単なる緊張ではなく警戒や畏怖嫌厭だった。
 私、自己紹介にしつこく拘ってある意味正解だったかもしれない、と急に気付く。顔を布で隠すのが習慣な為か朝影さんは表情にそのまま内心の変化が現れるようなのだ。それで、一つ確信したことがある。瑠璃さんもその単語にかなり反応していたが、〈穢れ姫〉という人がこの国でどれだけ畏れの対象になっているのかということである。
 私も気楽に構えてはいられないという気がしてきた。いや、きっとそうだろう。
 帰して欲しいと、ちゃんと頼めるのだろうか。


 それから、どれくらい時間が経ったのか。
 私はしばらくはどきどきどきどきとかなりの緊張感を味わっていたが、どうしたことだろう、途中から「このままこの緊張が続いたら心臓が持たぬ、早急に解決策を取らねば」と脳が判断を下しでもしたのだろうか、うとうとと呑気に居眠りを始めてしまったのである。がたっという唐突な牛車の振動によって覚醒し、一瞬ここはダレ私はドコ……違った、ここはドコ私はダレ状態になった。
 そして牛車が止まって到着したのだという事実に思い当たる前に自分が犯したある最大級の過ちに気付き、さああっと青褪めた。自分の血が下がる音を生まれて初めて聞いた。
 素っ気なく蹴落としてくれれば良いものを! と思わずにはいられない。私はあろうことかお隣の朝影さんの肩に凭れて眠っていたようなのである。
「す、す、すみません」
 大慌てで身を離し、速攻で謝った。
 恥ずかしいし申し訳ないし、いややっぱりひたすら恥ずかしくて、私は目元がじわりと熱くなった。顔が熱い。反して、手先は氷のように冷え切っている。何故だか大声で叫びたい心境だ。
 いつの間にか元のように黒頭巾と布とで顔を隠している朝影さんがしばし無言で見つめてきた。表情の変化が見えないので不機嫌なのかそうでないのか判別がつかない。冷や汗が伝う。
「……いえ、構いませんが、簡単に謝罪されるのはいかがなものかと」
 抑揚のない声でそう言われた。良かった、怒ってはいないみたいだ。
 でも一つ、悲しい事柄に思い至った。簡単に謝るなって言葉が内包する意味。
 朝影さんと打ち解けるのはかなり難しそうだなぁ、ということだ。



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