第二幕:01



 菩提さんの言った通り、森を抜けると歩きやすい広い道に出た。白っぽい土の道は平らで硬く、人の手によって固められた感がある。幅広の道の両脇には地平線の向こう側まで畑が広がっていた。盛り上がった土に青々とした葉が規則的に並んでいる。大根だろうか? 良く見えない。他にも見たことがないような野菜が多数あった。
 真っ直ぐな道のずっと先に町らしきものが見えた。〈繚華ノ町〉とはかなり毛色が違うらしい。まず建物に高さがあるし、木製ではないみたいだ。こうして遠くから眺めると全体的に白い色をしていることがわかる。さすがは国の中央、というか首都にあたるんだろうなきっと。
 途中、何やら畑で農作業をしているらしき人の影もちらほら見かけたが、向こうはこちらの存在には気付いていないみたいだった。何より離れているし、お仕事に集中しているだろうし。
 それから小一時間ぐらいで町に到着した。畑に植わっている未知の野菜の数々に目を奪われていたので、この時間はあっという間に感じられた。ちなみに町の名前は〈蓮花〉という。〈紅蓮〉に因んだものだって話を瑠璃さんがさりげなく教えてくれた。紅蓮ってそういえば赤い蓮の花のことだよね。
 中央通りと呼ばれる道に入ると、すごく賑やかで驚いた。人の通りが凄い。〈蓮花〉に至るまでの道に轍らしき溝があったのでまさかとは思っていたが、ここに来て実物が行き来しているのを目撃してしまった。まぁ……とことこと車体を引いていたのは馬ではなく小柄な牛だったが。牛車というべきか。
 町の外観は奇妙なものだった。和風とは違う。建物は石造りで二階建てのものが多いが、かといって現代日本にあるような建築物のどの類にも属してはいない。剥き出しの太い四角い柱が目立つ。あと、瓦葺だ。
 今日は市が開かれているらしく、至る所に露店が幕を張っていた。人の賑わいはその所為でもあるのだろう。いくら中央の町だからって毎日この混みようというのは確かに異常である。
 いや、うん、そんなことよりもだ。先ほどから人の視線がヤバい気がする。
 恐ろしい猛獣たちの徘徊する森を抜けたことですっかり気の緩んでいた私は、一瞬自分に視線が集まっている原因が思い浮かばなかった。鈍い鈍すぎるぞ自分、周りを見て何故すぐに気付かないのか。
 〈蓮花〉の人々の視線を集める原因は言うまでもない、この私が着ている高校の制服だった。
 周りの人の服装はどれも前合わせで、腰辺りに帯を巻いてとめるタイプのものだ。模様の無い淡い色の生地が多い。稀に袴みたいなのを穿いている人も見かけたが、大抵は広がりの無い、疑似長ズボンを下に穿いている。
 うぅ、目立つ、とっても目立つ実に実によく目立つ目立ちまくっている。
 別に、羨ましいわけでもなんでもなく、ただ単純にひたすら、目立たないように――私もあんな格好がしたい!
 内心の激しい叫びが届いたのか、単なる偶然なのか、瑠璃さんがちらりと私を振り返った。ちなみに私は現在、菩提さんの背に隠れるようにしてくっついている。いや、実際に体は触れてはいないけれども。
 目立つと言えば私程ではないが菩提さんや瑠璃さんも視線を受けている気がする。どうやら現在二人が着ている服は〈御殿〉に勤めている者がする格好であるらしい。〈御殿〉は〈蓮花〉の中央に聳える〈紅蓮〉の政を司る機関であり、最高権力者〈穢れ姫〉が住まう場所でもある。身分とか正式な役職までは示していないものの、この〈御殿〉に籍を置く人間は総じてこの形・この丈の袴を穿くらしい。色や柄はまた別に決められているらしいんだけれど。
 私は項垂れつつ、じっと瑠璃さんを見つめ返してみた。視線は合ったが、彼は何も言わない。というか今、私の全身を眺めた気がする。やっぱりこの格好、瑠璃さんも変だと感じているのだろうか。
 しばしの無言の見つめ合いののち、先に視線を逸らしたのは瑠璃さん……というか、結局何も言わずにまた歩き始めてしまったぞ。ちょっぴり見て見ぬふりをされた気がしなくもない。空しいな。
 そういえば菩提さんはここに来るの、初めてじゃないんだろうか。私は感動よりも好奇やら戸惑いやらが渦巻いて複雑な心境であるし何より人々の視線が気になって周りの景色を楽しむ余裕など到底ないが、彼はどうなのだろう。〈蓮花〉について特に何もコメントしていない。何らかの感動や興奮はないのだろうか?
 まぁ、彼は大人だし、と一人納得しておく。それにそもそもは遊びで訪れたわけではないのだ。手放しで喜べないのも当然といえば当然かもしれない。
 町の真ん中辺りに差し掛かった頃、昼食をとるためといって一軒の店に入った。この辺りは飲食店が連なっている一画であるらしい。露店でも食材だけでなくすぐに食べられるような料理を売っているところもあったけれど、それを選ばなかったのは、やっぱり人の目が気になるためだろう。瑠璃さん、意外と気が利くな。いや、私の勝手な思い込みかもしれない。単に慣れというか、店員さんに気さくな感じで話しかけているところを見るとどうも無意識な気がしてきた。あぁ、勘違いしたまま一人勝手に喜んでいれば良かった。そうすれば私の中で瑠璃さんの株が上昇して、少しは仲良くなるきっかけになっていたかもしれないのに。
 驚いたことにこの店、入口に暖簾が下がっていた。ううん、こういう微妙なところで日本らしさを見せるのだ、侮れない。さらにさらに、石造りの建物が多い中でこの店は木造だった。二階建ての木造だ。建築技術、結構進歩していないか? 一階が店で二階がプライベート空間になっているのだ。知り合いのうどん屋さんがこんな感じだったから、凄く懐かしくなってしまった。そういえば最近行ってなかったな。段々うどんが恋しくなってきたが、この店のメニューにさすがにうどんはないだろうと思う。
 入口に暖簾はあったが、店内は西洋寄りだった。丸テーブルと椅子のセットが幾つか設置されていて、座敷は見当たらない。軽くショックを受けてふらつく私を菩提さんが面白そうに見つめた。だって完全に和風だと思い込んで入ったら丸テーブルに椅子、ですよ。辛うじてテーブルも椅子も木製ってところが救いだが……、いや、何の救いだ? こういった小さな違和感が案外、喉に刺さった魚の小骨のようにちくちくと心を蝕んだりする。
 現在の時刻は一時八分。ジャストお昼時である。しかしその……こう言っちゃ失礼だが、この店、繁盛していないんだろうか。客が私たち以外にいないのだ。それとも〈蓮花〉の人はお昼ご飯を食べる習慣がないとか、もっと遅くに食べるのが常だとか。うーん、どちらも可能性は低そうだ。
 そうこうするうちに料理が運ばれてきた。今日の昼食のメニューは玄米ご飯に見知らぬ魚の煮付け、あとはお吸い物っぽい汁物。箸も出されたことだし、ばっちり純和風である。これならメニューにうどんがあってもおかしくないんじゃないか? ちょっと期待を抱きつつ菩提さんにこっそり尋ねてみたところ、料理屋が出す献立は一種類で、日ごとに店側が決めるんだという答えが返ってきた。えー、じゃあそもそも客に選択の余地はないのだな。それで三人とも同じ料理なんだな。
 とはいえ私はなんだかんだと食欲旺盛な方ではないので、食べ物に対して不満はない。というかお母さん曰く、味音痴らしいのだ。お父さんもそうらしいんだけど……、まさかこれって遺伝なのか? 料理上手でないお母さんの手料理を文句の一つも言わずに綺麗に食べ切ってくれるのはあんたとお父さんだけよって前に話していたな。ちなみに食欲旺盛ではないが、小食というわけでもない。単に私は食に対して執着がないのだ。こだわりがないというべきかな。不味くても美味しくてもとりあえず出されたものは食べ切るっていうのがモットーだ。というか、どういうものが美味しいのかよく分からなかったりする。やはり味音痴なのか私。今までの人生の中で「美味しい!」ってものに出会った経験がない。
 余談だが今朝の朝食には炊いた後乾燥させたという玄米ご飯を水に戻して食べた。結構ポピュラーな携帯食であるそうだ。さすがに二日目以降は御握りというわけにもいかない。それともう一品、塩辛い乾燥野菜みたいなものも食べたけど、あれは怪しげだった。なんというか茄子とプルーンを足して二で割ったといった風情の妙ちくりんな代物なのだ。味はそう、物凄く塩辛い中に飴のような甘さを微かに感じるという空恐ろしいものだった。私と菩提さんは微妙に冷や汗をかきつつ食べ切ったけど、瑠璃さんはそもそも口にしていなかった。好き嫌いなんて大人げないじゃないか、それでどうしてそこまでデカくなれたのだ? 平等って一体どういった意味の言葉だったっけ、と一人虚しくなった。私ってもう身長伸びないのかな。せめてあと三センチぐらい……うん、ミラクルでも起きない限り叶わぬ儚い願いだって自分でも分かっている。それでも願わずにはいられないのだ。
 食べ終わって一息ついた頃、ふと菩提さんの手が私の顔に伸びた。
「ついてるよ」
 ……ナニがでしょうか。
 激しく混乱し脳内を疑問符で埋め尽くしていると、布の柔らかい感触が唇の端に触れて去って行った。凝固する私と何の邪気も感じられない菩提さんの様子を瑠璃さんが哀れそうに見つめていた。
 要するに口の端についていた食べ物の滓だか何だかを拭ってくれたらしい、という事実はどこか意識の遠い部分で理解した、が。
 うぅ、またも子供扱いされている。菩提さんは私を一体何だと思っているのだろう、いや、大人とはまったく別種の生命体だと認識しているのだろうけれども。
 がーん、と激しくショックを受け頭上に暗雲を召喚しつつ項垂れる私を、瑠璃さんがやはり憐憫の籠った眼差しで見ている。それがどういう意味か、まだ考えたくない気がした。
 一方の菩提さんを戦々恐々と窺ってみると、変わらない優しげな笑顔を向けられた。余計に悲しくなってしまうのは何故なんだ。
 気を取り直し、お盆に乗せた空の皿を瑠璃さんに倣って店員さんにお返ししていると、二階に続く階段付近に立っていた女性店員さんに手招きされた。え、私? と自分を指差して目で尋ねてみると、大きく頷かれた。私、知らぬ間に何かしでかしたんだろうか。
「行ってこい」
 困惑して後ろの二人を振り返ったら、瑠璃さんにそう命じられた。それは分かったけれど、説明は?
「ほら早く。ここで待っていてやるから」
 あの、説明は?
 瑠璃さんに背中をどつかれ……ではないが結構な強さで押されたので、私は渋々彼の言葉に従い、女性店員に連れられて二階に上がった。
 不安半分混乱半分で廊下の突き当りの一室に入ると、店員さんがようやく口を開いた。
「貴方のお連れの方に頼まれてね」
 だから、何を。
「お着替えを用意するようにと」
 ……え?
 私は耳を疑った。
「いつそんな会話を?」
 店員さんは楽しげに笑いつつ部屋にあった箪笥の一つを漁り始めた。狭い部屋だ。箪笥や棚や木箱ばかりが並んでいる。もしかしたらここ、部屋というよりは物置なのかもしれない。
「気付かなかった? 店に入ってすぐ、貴方ともう一人の連れの方を席に着かせておいて、あの方だけ私と会話していた時があったでしょう? その時に」
 つまり店員さんの言うお連れの方って瑠璃さんで、彼が私の着替えを用意するように頼んでくれたってこと。
 ええ?
 俄かには信じられない。だって明らかに彼のガラじゃない気がする。
 というかあの時、注文していたわけじゃなかったんだんだな。そうか、そういえばメニューを選ぶ余地はないんだった。
 色々と複雑な思いの混じった驚きを示す私を店員さんが振り返ってじっと見つめた。
「……な、何でしょう」
 慄きつつ尋ねると、店員さんがにやりと笑った。
「貴方、髪も瞳も黒いのね」
「それが何か……」
「珍しいわ」
「え? そうなんですか?」
「何でも似合いそうでいいわね」
「はあ……」
 気の抜けた返事をする私にもう一度微笑みかけた後、店員さんが箪笥から取り出してあった服の幾つかを私に合わせた。
「あら……私のでは少し丈が大きいみたい。どうしよう」
 どうせチビですとも!
 私ががくっと肩を落としているうちに店員さんが別の棚から服を取り出してきた。
「これならどうかしら? あら、ぴったりね! 私の子供時代の服が残っていて良かったわ」
 子供時代って。
「良かったら全部貴方に譲るわ。もう私じゃあ着られないもの」
「……ありがとうございます」
 内心に渦巻く仄かな反発心を何とか封じ込め、お礼を述べた。
 廊下にいるから着替え終わったら呼んでね、と笑顔で手を振りつつ店員さんが出て行こうとするのを私ははっしと袖を掴んで引き留めた。
「あら、どうしたの?」
「着方がわからないんですけど……」
 と正直に言ったら、彼女は目を大きく見開いて大仰な程驚いた素振りを見せた。何やら嫌な予感がする。
「貴方、一体どこぞのご令嬢なの?」
「はい?」
 どこかで聞いたような台詞に乾いた笑みを浮かべてしまう。
「だって、自分で着替えたことがないのでしょう?」
 うぐ、と喉を詰まらせる。それは大いなる誤解というものだ。
「違いますよっ」
「でも……」
 と言い掛けた店員さんの視線が私の頭の先から爪先まで動いた。
「貴方、そういえば変な格好してる」
「…………」
 今気付いたのか? もしかして天然ってヤツだろうか。
「まあいいわ。それより早く着替えないと。お連れの方が待っているでしょ?」
「え、ええ……」
 ぎこちなく頷くと、店員さんも一つ頷いた。
 そして、店員さんに手伝ってもらいつつ苦戦して着替えたのがこの服。
 確かにサイズは、泣きたくなるほどぴったりだった。
 ごく淡い緑色をした長めの裾の上衣に、下は膝丈ぐらいの深緑の袴を穿いている。ちょっと長めのキュロットっぽい。通りでも見かけたが、この国の人は膝か膝の少し上ぐらいまでだったら脚を出すことに抵抗はないらしい。現に私の隣で微笑んでいるこの女性店員さんも膝下丈の下衣を穿いている。スカートに見えるのだが、錯覚か?
 それにしても、この衣の色。
 ……真っ先に誰かの瞳を思い出してしまう色だ。
「うふふ、よく似合っているじゃない?」
 子供時代の服らしいけれどね。
「大丈夫よ、別に子供用ってわけじゃないんだから」
 そ、そうか。今の言葉はちょっと救いだぞ。
 店員さんはトートバッグに似た入れ物に畳んだ制服と何着か他の服を詰め込んで渡してくれた。手持無沙汰だったので、この贈り物はかなり嬉しかった。思えば私、服と腕時計とミニハンドタオルと自分自身以外に所有物がないのだ。その事実は思いの外心細い。
 一階に戻ると、瑠璃さんと菩提さんの二人は窓際に設置されている長椅子に腰掛けていた。不自然に距離を置いているところが彼ららしい。これが女の子の友達同士とかだったら結構べったり寄り添っているんじゃないかなと思う。というか、無言? 何か長年の積もる話はないんだろうか。
 瑠璃さんが先に気付いて顔を上げた。まじまじと見詰められてつい肩に力が入ってしまう。
「どうだ小娘、少しは気が楽になったろう? 感謝しろ」
 尊大な言い方だが、確かに感謝の念を忘れてはいけないだろう。私はタイミングを逃してしまう前に彼と、少し後ろに控えていた女性店員さんに丁寧にお礼の言葉を述べた。
 それから何気なく菩提さんに視線を動かした私は仰天した。凝視と言えるくらいにじっと見詰められていたのだ。
「菩提さん?」
 戸惑いつつ名前を呼ぶと、彼ははっとしたような表情を浮かべた後、いつもの端正な微笑を湛えた。
「その方が似合っているね」
「…………」
 その言葉をどう解釈したら良いのか、私はただでさえ少ない脳味噌を必死に振り絞って考えた。
 ああ、そうか。この国の一般的な服装になったから、きっと親しみが持てるってことなのだろう。
 そうかそうか、と一人納得して神妙に頷いていたら、頭の上にぽんっと大きな手のひらが乗せられた。瑠璃さんだ。
 きょとんと見上げると、意味深な笑みを向けられた。
「まぁ、頑張れ」
 ……何をだろうか。
 小声でかけられたその言葉の意味は、考えてみても結局分からずじまいだった。



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