第一幕:04



 運命の翌日。
 私は昨日の蹲った体勢で目覚めた。
 覚醒とともに絶望感を味わうなんて体験、生まれて初めてかもしれない。悪夢から目覚めて「あぁ良かった」と安堵することは珍しくないけれど、今のように目覚めた途端にショックを受けるなんて滅多に起こらないんじゃないだろうか。
 昨日のことは、夢ではなかった。
 ここは、牢屋の中。
 私は心を落ち着かせるために一度ふうと吐息をついた。それから気だるげにゆっくりと瞬き、手の甲で目を擦る。不衛生だが、目脂を残したままでもいられない。無論出来ることならば顔を洗いたいところだ。
 眠りにはちゃんとつけたみたいだった。でも節々が痛くて、体が重い。
 欠伸を噛み殺し、私がまだ覚醒しきらない白濁とした意識と上手く像を結べないぼんやりとした双眸とでぺたりとその場に座ったまま周囲を見回していた時、慌ただしく牢が連なる部屋内部へと駆け込んできた人物があった。
 私は驚いて目を丸くし、その人物に視線を遣った。入ってきたのは、昨日の少しだけ優しい目で私を見てくれた小柄で気弱そうな青年看守だった。
 どうしたんだろう? そんなに慌てて、何か緊急事態が発生したのかな……と、彼はあろうことか他人事のように考えている私の牢へと近付いてきた。それも、小走りに。
 何?
 死刑にされることになった、とかだったらどうしよう。
 でも、もしかしたら。
 漠然とした不安と微かな期待とが混ざり合った目で見つめる私がいる牢の手前に、彼は立ち止まる。
 視線がかち合った。ここは薄暗くて、牢の一番奥の壁に凭れている私と牢の入り口に立っている彼とでは結構距離があったはずなのに、一体どういった類の魔力が働いているというのか――私はその時の彼の表情が、その瞳の奥までもが、とても鮮明に明瞭に見えた気がした。
 どぎまぎしてしまうような、ひたすらに真摯な表情。強い輝きを秘めた瞳。
 私は無意識に立ち上がる。
 青年看守がふと張りつめたような気配を解き、柔らかな笑みを刷く。
 まだ何かを言われたわけでもないのに、私はその顔を見て物凄くほっとし、泣きそうになってしまう。
「君、ここから出られるよ」
 彼は、確かにそう言った。短い台詞の中に祝福のような響きがあったのを、私は聞き逃さなかった。
「ほ、本当に……?」
 彼の言葉を疑ったのではない。そう聞き返さずにはいられなかったのだ。
 彼は笑みを深めて頷いた。
 本当に出られる。
 嬉しい。良かった。
 叫びたいほどの喜びと、腰が抜けてしまいそうな安堵が同時に胸に広がる。
 良かった。
 鼠の言った通りになった。
 私はふらふらとした足取りで牢の入り口へと歩み寄った。一晩中両足を曲げていたせいか、調子が変だ。でもそんなことは取るに足らない些末事に思えた。
「でも、どうしてですか。私の身元を証明できる人が現れたわけじゃないでしょう?」
 こんな時に冷静な声で質問する自分が滑稽だ。真面目腐っているつもりは毛頭ないけれど、疑問はできる限り解消したいと思う方である。
 青年看守はぱちりと瞬いた。意表を突かれた表情といったところだろうか。うーん、よく見ると可愛い人かもしれない。
「……ええと、詳しくは知らない、というか、秘密事項らしいんだけど」
 自分でも自分の台詞に戸惑う、といった顔になる。
「秘密事項って?」
「うん、そうなんだ。今朝一番に〈御殿〉から書簡が届いてね。そこには、最近牢に入った者を〈御殿〉の主殿に連れてくるようにと書かれていた。容姿や服装の特徴なんかがそれはそれは詳しく、事細かに記されていてね。それに当て嵌まるのは君だけだった」
 そこで一旦目を伏せた青年は、今度はじいっと私の顔を見つめてきた。何だろう?
「これは僕が訊いていいものか、迷うのだけれど……。君はやっぱりその、格式ある家柄のご令嬢だったりするのかな?」
 私は思わず「ええっ」と叫びそうにそうになった。何故そんな誤解を、と思い掛けたところで昨日の白鼠の話を思い出す。〈御殿〉は政治機構であると同時に身分の高い人々が暮らす場所でもある、という話だ。
 青年にはその〈御殿〉に呼ばれる私が只者ではないように見えるに違いない。うん、私がもし彼の立場だったら同じことを考えると思う。
 束の間の思考から脱して改めて彼に視線を向けると、好奇心と羨望と夢とをふんだんに含んでいそうな、きらきらとした眼差しにぶつかり、私は思わずうっと呻く。
 どうしよう。単純に否定して良いものか。身分なんて全然高くないっていうかそんなもの初めから無い、なんて事実を伝えたらまず確実に訝しまれるだろう。
 昨日捕縛されたことが頭を擡げていて、私は容易には真実を口に出来なかった。
 でも、どうしよう。嘘をついたってきっとどこかでボロが出るに決まっている。
 どうしたら。
 私が真剣に悩んでいると、青年看守が唐突に「あっ」と声を発した。
 驚いて彼を見る。すると、謝られた。
「すまない。いつまでも君をこんな所に居させてしまって」
 彼は本当にすまなそうに眉根を寄せていた。前合わせの衣装の懐を探って鍵を取り出し、あっさりと牢から出してくれる。
 い、いいのかな? こんな簡単で。
 何かその……、本物の囚人になったことがないからわからないけれど、手続きとか、そういう類のものは飛ばしてしまっていいのか。それとも初めからそんなものはないのか。
 通路に立った私が戸惑って見上げていると、青年は微笑を覗かせて私を見下ろした。見下ろす、と言っても、彼と私の身長差はごく僅かだ。それも私が特別に小柄なためである。
「行こう。僕が案内するから」
「え……?」
 案内って、〈御殿〉へ?
「書簡には、こうもあった。かの者に護衛を二人つける。一人は牢看守の菩提、一人は紅蓮守護軍所属の瑠璃、とね。菩提って、僕の名前なんだ」
 菩提……さん?
 なんだかヘンな……いや、愛嬌のある名前だな。彼に似合っている。
 はにかむように笑って彼は付け加えた。〈御殿〉に御呼ばれしちゃった、と。
「どういうことですか?」
 尋ねると、彼がそっと私の背中に手を添え、軽く押した。
「兎も角外に出よう。歩きながら話すよ」
 ご尤も。
 薄暗い牢になんて、誰が好き好んで長居するものか。


 外に出ると、降り注ぐ太陽の光が眩しかった。
 昨日に増して爽快な青空が広がっている。一片の雲もない、青く澄み渡った玲瓏な空。
 心の不安までも払拭してくれそうな。
 ついついすぐ後ろにいる男性の存在を忘れ、私は思い切り伸びをした。
 肩が凝ったぞ。
「ねぇ……そういえば、名前を聞いていなかった。良かったら教えてくれないかな?」
 私の天真爛漫な行動に目を瞑ってくれたらしき彼が、そう尋ねてくる。
「光と言います」
 苗字は、まぁいいか、という感じで。細かいことを気にしていては駄目なんだって思うようになっていた。
 一日ぶりの外の景色に目を奪われるばかりだった私は、少し遅れて後を追ってきた青年看守……菩提さんを振り返り、しばし放心した。
 牢にいた時は暗さで全然ちゃんと見えていなかったのだと知る。
 陽の光の下で見る彼は、随分若そうに見えた。二十歳前後か、あるいはもっと下か上。滑らかな乳白色の肌をしているのは、職業が牢の看守で陽の光に当たらないものであるためだろうか? それにしてもきめ細かい陶器を思わせるような繊細な肌をしている。女の私が羨ましい程なのだ。顔立ちは控えめだけれど、唇が存在を主張するかのように艶々としていて、綺麗な形だった。全体的に男性にしては不思議と柔らかな印象の人。髪型がお団子縛りっていうのもその一つの要因なのかもしれない。髪は灰色に近いくすんだ色。瞳は……何ていうんだろう。薄い抹茶色? 服装は生成り色の小ざっぱりとした作務衣みたいなものだった。
 菩提さんって、こんな人だったんだ。
 私は限りなく感動に近い衝撃を受け、密かに胸を震わせる。
 その時、私があんまり長くまじまじと、しかも間抜けな表情で見つめていた所為か、彼が微かに首を傾げた。
 何故だか胸が高鳴った。か、可愛い。
「光……?」
 ぱちぱちと瞬く。あ、睫毛が長い。
「いい名前だね」
 私の隣に追いついた彼が目元を和ませてそう言う。どぎまぎと見返す私の脳内には、昨日の不可解な出来事が蘇っていたりする。
 同じようなことを私に言った、苛烈なまでに赤い髪の巨人のように背が高いアノ人。
 一体、何だったのか――。
 私は、あの人との邂逅が全ての始まりに思えてならない。
「光」
「……あ、はい」
 一瞬回想に耽っていた私は返事が遅れた。
「僕は、初めから君が悪い人ではないという気がしていたよ」
 にこやかにそう言った彼の横顔を、目を丸くして見つめる。
「……そうですか?」
「うん。悪人は何かしら陰湿な気配を纏っているものだからね。それに引き換え君は、からりと乾いていて裏がないように感じられた」
 私はちょっと感心してしまう。この際私を牢に入れた折に囚人の友達を作るように勧めてきたことは無視しよう。彼は看守というだけあって、のほほんとしているようで実はちゃんと見ている人なのだ。
 そんなことよりも、どこに向かって歩いているのかが気になった。
 牢を出た私達は今、幅の広い道を歩いている。昨日は全くと言っていいほど人気がなかったが、今日は疎らながら通りを行く人の姿が見られた。走り回る子供の姿もある。道の両脇には木造の背の低い民家が所狭しと立ち並び、比較的白に近い色をしている道とのコントラストが生じている。真っ直ぐに走る道、家屋が生み出す縦の直線。その町並みは殺風景といえばそうなのだけれど、整備が良く行き届いていて好印象でもあった。
 やっぱり日本様式、な気が。でも、瓦葺の家は見当たらない。
「さっきの話の続きをしてもいい?」
 きょろきょろと忙しく町中を見回していた私に、菩提さんが声をかける。
「勿論です。続けてください」
 私が頷いたのを確認すると、菩提さんは少しだけ逡巡するように視線を宙に投げかけていた。
「……もう一度、訊くけれど、君は格式ある家柄のご令嬢なのかな?」
 幾らかの戸惑いと躊躇いを含んだ声音だった。
 じっと見つめてくる淡い抹茶色の二つの瞳を、私はどぎまぎと見返す。探るようであり、純粋に惑っているようでもあり、気遣うような色をも孕んだ、複雑な目だ。
 何て答えたらいいのだろう。
 未だに迷う私に、心の声が強く命じていた。真実を話せと。
 でも、理性はどこかでそれを拒み続けている。
 あぁ、もう、どうしたら。
「菩提さん、私……」
「うん?」
「よく、分からないんです」
 迷った末に出た言葉は、それだった。「分からない」。単純だがそれが最も真実に近く、今の状況を適切に表す的を射た表現。
「……分からない?」
「はい。私、なんでここにいるのか分からなくて。それから、ここがどこなのかも。いえ、〈淡紅桜花〉っていう地名は他の人が口にしているのを聞いて知っています。でも、やっぱり何がなんだかさっぱりで。どうしてここにいるのかとか、これから先どうすればいいのかとか……考えても全然分からなくて、泣けてくるんです」
 自分に齎された現実を必要以上に深刻に受け止めるのは良くないのだと思う。前に進めないから。
 けれど私には昨日の出来事がある。本人に何の悪意がなくとも簡単に捕縛されてしまうなら、どれだけ警戒してもし足りないくらいだ。もう、あんな目に遭うのは絶対嫌。怖かった。思い出したくもない。捕まったことも衝撃だけど、そうじゃなくて、喉元に本物の刃物を突きつけられたことが何よりも大打撃になっている。寿命が縮んだとかそういう次元の話じゃなくて。私はきっとあそこで下手な真似をしていたら、本当に殺されていたのだ。
 思い出したくないのに、一度意識したら昨日の出来事が洪水のように押し寄せてきた。胸が苦しくなる。違う、息が苦しい? ともかく、体の中心が痛い。外傷はないけれど、魂に罅が入ってしまった気がする。苦しい。無意識に強がっていたみたいだ。やっぱり私にとっては昨日の一連の出来事が、尋常でなくショックだった。
 菩提さんはしばらく黙りこみ、静かな瞳で私を見つめていた。いつの間にか私たちは道の真ん中に立ち止まって向かい合っていた。
「……ねえ、じゃあ光は、自分がどこの〈郷〉出身なのかは知っている?」
 ゆるゆると首を横に振って答える。
 私、〈淡紅桜花〉のことだってまだよく知らないし、無論それ以外の〈郷〉というものも知らない。名前すら知らない。
「本当に、知らない?」
「はい」
 彼は息を詰めたようだった。
「そんな。可哀想に」
 ……可哀想?
 私はびっくりして菩提さんを見上げた。例えるなら雨ざらしにされた段ボールの中の捨て猫を見るかのような、そんな哀れみの眼差しを目一杯降り注いでくる。
「君は孤児(みなしご)だったんだね。そうとも知らず、気に障るような質問をして悪かったね」
 あのーもしもし菩提さん? という私の呼びかけを無視しているのか気付いていないのか、それともあえて気付かぬ振りをしているのか、菩提さんは返事をすることなく神の慈愛のごとき優しさを湛えた瞳で私をじぃっと見つめた。
 どうやらこのお方は現在、自分の世界に浸水……いや心酔している模様である。
 ひくりと顔を引き攣らせた私に構わず、彼は続けた。驚くほど饒舌になって。
「そうか。行く当てもなく彷徨っていた所を警備の者に捕らえられてしまったんだね。自分の生い立ちも分からないような子が通行証を持っているはずがないというのに、まったく世の中は理不尽に出来ているものだ。あれ、ということは君……もしかして」
 寧ろ貴方は人の不幸を愉しんでいるのでは……と内心で突っ込んでおく。口に出したところで返事がないのは、先程実証済みなので。
 菩提さんが薄抹茶色の双眸を見開いてまじまじと私の全身を見る。
「〈御殿〉に招かれたってことは、君。やっぱり、実は物凄ーく身分の高い家の子なんじゃないのか!?」
「ぅぐ」
 思わず喉の奥から変な声が漏れる。
 菩提さん、貴方の妄想力は見上げたものがあります……。
「故あって泣く泣く手放した我が子の消息がついに掴むことが出来、愈々対面する時がやって来た、と……」
「あのぅ」
「ついに叶う悲願。十年ぶりの感動の再会か!?」
「…………」
 菩提さんてば、良いヒトだと思っていたのに。
 天は二物を与えずっていうけど、まさかこのことを言うのか?
 いやいや、何にせよ誤解は早いところ修正した方が良いだろう。今後話が噛み合わなくなってしまう。
「あのですね、菩提さん」
「良いんだよ、光。そんな無理に話してくれだなんて言えない、言えるわけがないさ」
「そ、そうじゃなくて……」
「君の心の傷が十分に癒えてから、僕に話してみたいような気がしないでもない、よしっここは勇気を出して話してみよう! ……と、こういう具合に決意が出来たその時に話してくれればいいから」
「いえ、あの……」
「わかってる! 今じゃなくてもいいんだ。もう少し君が僕の事を信頼できるようになってから、お互いに分かり合える仲になってからでいいんだ。少し寂しいけれど、僕は温かい目で君を見守り続けているからね」
「菩提さん……」
「礼には及ばないよ」
 あぁ。
 なんか、駄目だこのヒト。
 菩提さんの暴走はまだ続いた。
「そうだ、まずは僕の話をしよう。僕は三年前、死んだ父の後を継ぎこの町の牢の看守になった。以来母と三人の妹と共に慎ましくもそれなりに幸せな生活を送っている。あぁ、こういう話は古傷に触れるかな?」
「いえ……」
 ちょっと妄想癖があるんだろうか。こんな長閑な町に暮らしていると色々と退屈なのかもしれない。人生にシゲキは必要だよね。でも、彼は牢の看守なのだから殺人鬼に接する機会とかもあるんじゃ……。いや、無くて結構なんだけれど。他人事ながらそんな生活に慣れていて欲しくはない。
「僕の収入だけでは足りないので、母は内職をやっている。まあそれも、雀の涙程のものなのだけれど」
 暴走?
 いやいや、これは結構貴重なお話ではないか。
「三人も妹さんがいらっしゃるんですか」
「……ああ、うん。煩いけど、普段は外に遊びに行かせているから」
「へえ……」
「年が離れていてね。李花(りか)と桃花(ももか)が双子で、四歳。長女の杏花(きょうか)が六歳」
 名前が可愛い。
 確かに菩提さんの妹にしては幼いのかもしれない。いや、でも年が離れているって、そもそも菩提さんは何歳なの?
 訊きたいけど、失礼かな。
「あ」
 不意に菩提さんが立ち止まる。でもそれは一瞬で、また歩き始めるとこう言った。
「すぐにでも出発したいところではあるけれど、ごめん。一旦僕の家に寄らせてもらうね。そのことを言い忘れていた」
「いえ、構いませんけど……」
「服を替えなくちゃいけないんだ」
「え?」
「ついでではあるけれど、〈御殿〉に直々に御呼ばれしたのだから。こんな格好ではとても行けないよ。それから荷の準備をしないと」
 そういうことかと一人納得する私を、菩提さんがふと奇妙な顔で見つめてきた。
 何だろう?
「ええと、その。なんていうか君は……その格好で大丈夫なのかな」
 私はその言葉にきょとんとしてから、自分の格好を確認してみた。囚人服という概念がないのか牢に入る時にも着替えることなくこの格好だったので全然今まで意識していなかったが、私が今着ているのは高校の制服なのだ。やっぱりこの世界の人の目には面妖に映るのだろうか。上は白のブラウスに紺のニットベスト、下は黒いプリーツスカートに紺ソックスを穿いている。靴はローファーだ。胸元の大きめのリボンは黒と深緑の千鳥格子模様。ちなみにこのリボン、少し変わっている。模様もそうだけれど形が下向きの扇みたいになっているのだ。これが不評で、最近生徒会では制服の改定についての審議がなされているらしい。
 私、そういえば高校生なんだよね。この世界は今春先みたいだけど、元いた世界の方では真夏だった。学校のクーラーが利き過ぎるから夏でも半袖を着ることはないのだけれど、良かった。今もし半袖だったら肌寒いかもしれない。
 異世界にいるんだという自覚が改めて芽生えた。なんだか帰りたくなってきたぞ。
 私が落ち込んだのを自分の発言の所為だと受け止めたらしき菩提さんが、慌てて言い添えた。
「いやっ、心配しなくても君は多分そのままで良いんだと思うよ。〈御殿〉に招かれたのは君なんだからね」
 どういう意味か、しばし考える。
 ……菩提さん、またナニか勘違いをしているんじゃ。まさかまさか、この格好が貴族の正式な服装だとか思っていたりなんかして。
 でも、無理言って着替えを用意してもらうのもなんだか気が引けるので、黙っておくことにした。あぁ、向こうに着いたら変な目で見られたりするんだろうか。
 気にし出したらきりがないので、私は話題を変えることにした。
「菩提さん、〈御殿〉にはどれくらいで着くんですか?」
「うん? あぁ、徒歩で二日ぐらいといったところかな」
 それって結構遠かったりする?
「菩提さん……」
「どうしたの?」
「私、歩くのかなり遅いと思うんですけど……」
 何を隠そう、私は運動不足の王者なのだ。うん、全然胸を張って言えることじゃない。
「大丈夫だよ。君に合わせて行くから」
「でも、それだと本当に遅くなるっていうかぁ……、足手纏いっていうかぁ……」
 休憩とか、いっぱいとらなきゃいけなくなると思う。
 菩提さんが眉を上げて笑いだす。
「何を言っているの? 君が主役なんだから、そんなの全然気にしなくていい」
「でも」
「書簡にもいつまでに来いとは書かれていなかったよ? 心配しないで」
 そうかなぁ。いいのかなぁ……。
 ううん、書簡とか、そういうことじゃないのだ。菩提さんが二日といったのに三日かかったら明らかに私の所為で、そんな事態はとても恥ずかしい。あまりの体力の無さに呆れられるんじゃないかとか、私はそういうことを心配しているのだ。
「光は心配症なんだね」
 そう……なのか? 自分。
 その時、菩提さんが片腕を持ち上げて、斜め前の黒っぽい家屋を指差した。
「見えてきたよ。ほら、あれが僕の家」



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