晴天



 くるくる回る。ぐるりと廻って、元に戻る。また回り出す。僕は最初、単純にそれを面白がった。いつまで続くのかなぁって気長な思いで、時折時計に目を向けながら。でも、さすがに一時間以上も同じ動作を展開されては見飽くわけで。うん。要するに、君が僕を放置してぐるぐるぐるぐる机の周りを歩き回っている事が問題なんだよね。
「ねえ」
 高い声、嫌になる。君が好きだって言ってくれたのが救いだけど。
 僕の呼びかけにぴたりと動きを止めた君。なんだ、一応意識はあるんだね。僕は机にだらしなく寄りかかるのを止めて、君へと近づいた。親切にも尋ねてあげる。
「何かあったの?」
 んー、自覚はあるんだよ? 今自分が浮かべている笑顔が胡散臭いものであろうことについては、さ。でも現在の君はほら、そんなことにも気付かないぐらいに余裕が無いんだ。
 君の元々大きな瞳が更に大きく見開かれたけれど、その変化はほんの一瞬の出来事で、元の茫洋とした無彩色の瞳に戻ると君はゆるりと顔を背ける。ナニ? ちょっとどこ見てるわけ。明後日の方向っていうかそれ、あの世的な、さ……。
「何かあったように見える?」
 君を真似て薄暗い部屋の角を目を凝らして見つめていた僕に届く天使のソプラノ。僕、霊感とは無縁なんだよね。何も見えないや。すぐに飽きて君へ視線を戻す。うん、見えるよ。そう律儀に頷いてあげたら、君は見えてはいけないモノが見えているらしき瞳を瞬かせ、伏せた。ねぇどうしたの?
「イライラする」
「え」
 それって僕と居ると、って事? 君の吐き捨てるような物の言い方に多少なりとも僕の胸は痛みを訴えたけど、敢えて気付いていない振りをした。不意に視界に入り込んできた前髪が鬱陶しくて(って言っても僕は本来この長さに慣れているはずだった)掻き上げる。一秒後、後悔。君の横顔がよく見え過ぎる。なんて世界と僕とを隔てていた安上がりな防壁の意味合いを今更思い出したところでもう手遅れなんだけどね。僕は両手をポケットに突っ込んで、軽く首を傾げてみた。駄目だ、僕の髪質じゃ。こんなことで元には戻ってくれないや。えー。なんかもう、色々とめんどいなぁ。君が黙り込んでいるから、僕が口を開かないといけないみたいな空気になってるじゃん。
「えーそうなの。なんだ、じゃあもっと早くに言ってくれれば良かったのに」
 そうしたら、君の為に消えてあげるのに。君の為なら消えてあげるのに。いかにも「君至上主義」らしい考えが浮かんで、僕は微かに笑みを浮かべる。右側のポケットの中に一体いつから潜伏していたのかしれない飴玉が入っていたのに気付いたけど、どうしたもんかなー。甘い物、好きじゃないし。かと言って君にあげるのも気が引けちゃうよね。ううん、賞味期限の問題じゃなくて、それを僕がやったら小学生を誘惑する不審者みたいになるだろうからさ。それにほら、ベタ付いてるもん。包み紙から飛び出しちゃってるってコトはさ、これ、飴玉入ったままで洗濯しちゃったってことだもんね。まーいいや。帰ったらゴミ箱にさよならしようっと。
「あーそれともアレかなぁ。この世から消えて欲しい、とか?」
 いつもより糖度の増した自分の指先が気持ち悪くて、僕の思考は自然とネガティブな方向に引き擦り込まれる。笑っちゃうね。むしろ哂うしかないよね。ああ可哀想な僕。この世で一番必要とされたい子に「不要」の烙印捺されちゃうなんてさ。
 不快そうに顔を顰める君をこれ以上見ていたくなくて、僕は誘われるように窓の外へと視線を移す。どこまでも果て無く広がっていくような錯覚を起こさせる綺麗な青空の中天には、我が物顔で太陽が居座っていた。一片の雲も無い嫌味なくらいの晴天。今日はいつもより深い青色だね。僕の心もあの空に溶け込んだら、少しは浄化されるのかな。なんて馬鹿馬鹿しい考えに自嘲しか浮かばないや。
「おっと」
 未練たらたらな僕は最後にもう一度君の姿が見たいだなんて切ない思いを抱いて振り向いたんだけど、君の急接近に驚倒する羽目になった。音も無く忍び寄るとか、もう何なの? それ特技? 一体どこで体得したのか是非教えて欲しいよ。
「どーしたの」
 にこにこ笑って頭を撫でたら、君に頭突きされた。え、普通に痛い。ごめんワケが分からないんだけど。ていうか酷くない? 鳩尾にクリティカルヒットだよ。化けて出ちゃうかもよ? 僕、元々執念深い性質だし。なんて仄かな怨みを抱きつつ噎せ込む僕に、君は言った。
「死にたいの?」
「……ん?」
 もう一度言って欲しい。ううん、聞き間違いの可能性を希ったわけじゃなくて、自分が噎せる音で聴こえなかったんだよね。あはは。……君の所為ジャン。
「死にたいの?」
「えー。なんで?」
「だって」
 僕の脳内を本気で懸念する君の表情。えー傷付くなーそういうの。なんて嘘だけど。
「飛び降りようとしてる」
「あ、これ? だって今日は最高の飛び降り自殺日和でしょ」
「でしょ、じゃなくて。止めないから、理由を聞かせて」
 僕は声を上げて笑った。可哀想な人を見る目で見られても、中々止められなかった。僕が「えーそこは止めようよ」って言葉を飲み込まざるを得なくなった理由が、おかしくて。だってさ。止めないなんて言いながら、君が僕の袖を強く掴んで離さないから。
「だってさー。死刑宣告されちゃったんだ」
「……誰に?」
 きょとんとして訊く君のオデコを指先で弾いた。オデコ広いよね、禿げるかもよ? って前に言って怒った時と同じ類の恨みがましそうな目で君が見上げてくる。あれ? ちゃんとしたつもりだったんだけどな。手加減。
「君にー」
「ええ? 何の話?」
「君が死ねと」
「言ってなくない……?」
「言った」
「言ってない」
「言った」
「……言ってない」
「言った」
「分かったもう逝ってらっしゃい」
 君が突き放して、僕は空色に溶け込んだ。重力に引かれるままに落ちる。地面に打ち付けられる身体。あぁ腕、カクジツに折れたな。もっと痛くないように上手に着地するんだったなぁなんてちょっと後悔。あ、着地とは言わないや。墜落? それも違うような。まっいいや。肋骨も折れたみたいで、どこか内臓を突き破ったらしい。こぽりと胸の奥で聞き慣れない流動音がして、次の瞬間唇を割って出た赤い飛沫の鮮やかさといったらもう、真紅の薔薇を凡そ超越しているよね。うーんそれよりも。アスファルトに頬擦りする僕ってまるで変態じゃない? なんて自虐に走ってから、愛しい君を見上げた。君は窓枠に頬杖をついてこちらを見下ろしている。あ、このシチュエーションってあれだ! なんだっけ、ロデオとメヌエット? よく分かんないや。
「死なないくせによく言うわ」
 三階から呆れた視線を送る君に、僕はへらりと笑って応えてみる。
「死なないんじゃなくて、死ねないの」
 そこはしっかり訂正しておこう。あ、溜息吐かれちゃった。なんで? 君だってこの高さじゃ死ねないと思うんだけど。他人事じゃないのになー。
「今行くよ」
 無機質な感触を返してくる地面に腕を付いてよいしょと身体を起こす頃にはもう、道路に残った血溜まり以外は全てが元通り。世界が僕を拒絶している証拠に、僕は目を細めて哂う。いつからだったかな、もう思い出せないけれど。ううん、思い出したくも無い。僕に必要なのは記憶力じゃなくて、ただ君だけだから。
 まあでも僕、ロミオじゃないし(ほんとはちゃんと知ってるんだよー。えへへ偉いでしょ!)今の僕らに愛の障害たる肉親ってのも居なかったから、僕は堂々と玄関から家に上がった。階段を軽快に上って、君の部屋へと辿り着く。「ayumi」のプレートが掛かった扉を開いて、斜陽を背負った君と邂逅。「やっ、お久しぶり!」そうふざけた僕の腰に君が抱き付く。あれ、珍しいこともあるんだね。飛び降りた甲斐があったかな。
「死んじゃえば良かったのに」
「えー。なんかごめんね?」
 僕は相変わらず笑っていたけれど、君が泣きそうな顔でそれきり押し黙ってしまったのを見て先程の台詞に込められた「本気」に気付いた。ん? 僕、何か失敗したっけ。君に殺意を抱かれる原因となるような決定的事件が無いかどうか記憶の抽斗へと手を突っ込んで漁ってみたけれど、うん。皆無。アレでしょ。素直じゃないもんね、君。ていうかぶっちゃけ僕が好きでしょ? なんて一人、オメデタイ解釈に至って独り善がりな幸福に浸ってみる。え、なんか虚しい。こんなはずじゃなかったのに。
「そうしたら、」
「んー?」
「あなたが居なくなった世界であなたを探して彷徨うのに」
「…………」
「そうしたら、ね。きっと私は一生泣き止まないのに」
「…………」
「イライラする」
「え、そこに戻るの?」
「イライラするの、自分に」
「ん? あ、僕にじゃなかったんだー」
「貴方と同じ生命じゃない自分にイライラする」
「そんなの気にしなくていいよ。……あれ、ていうか僕って人間だよねそうだよね? うん、確かそうだった気がする」
「昔はね」
「そうそう昔は……って」
 ね、死にたいって思わなくて済むうちに死ねるといいね。
 君が唐突に笑ったから、やっぱり僕も釣られて笑った。苦笑が混じってしまったのは内緒。内緒ね。それを知ったら彼女がきっと泣くから。だからこそ僕は彼女を抱き締め続けて、自らの表情を悟られないようにした。優しいだろ?
「あゆみ」
「何?」
「吸血鬼って知ってる?」
「え? ……あなたそれなの?」
「違うけど」
「違うんだ」
「うん。でもさー、試しに君の首筋にガブリってやったらもしかしたら、」
 君も不老不死になれるかもしれないよ? ね、試してみよっか。
 僕は今日も君が嫌がる提案を口にする。見え透いた嘘を吐く。百パーセントの確率で君が隣に居なくなる未来から目を背けたくて。
「ん、でもその前に着替えたいかも」



(Fin.)



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